江戸時代前期の建築物です。県下最大の木造仏で、東北地方でも類例まれな巨像「十一面観世音立像」が祀れています。その願意は、弘前藩主4代信政が先代信義の菩提を弔うためだったと伝えられており、報恩寺の観音堂本尊として祀られてきました。